2004年01月29日
川俣晶の縁側辛口甘口雑記 total 14473 count

最近ネット上で流行る挨拶「ごきげんよう」とは何か?

Written By: 川俣 晶連絡先

 最近、チャットやメールで、挨拶に「ごきげんよう」と書いてくる人が増えています。

 既に軽く片手では収まらない人数になって、更に増加中です。

 これは、私の身近な領域だけの話かと思いきや、もっと広範囲のムーブメントとして広がっているようです。

 それに気付いたのは、Phinlodaさんのblogで、ココログの管理画面にログインしたら「ごきげんよう、○○さま」と表示させたいという趣旨の文章を見た時です。

「ごきげんよう」の特殊性 §

 「ごきげんよう」というのは、ある意味で不思議な挨拶です。明らかに、普通の日本語であるにもかかわらず、普段は使用されない特殊な言葉であるという語感があります。

 ただ単に独特の用語が流行ることは、ある意味で、これまで繰り返されたことであり、さほど奇異ではありません。たとえば、2ちゃんねる等を発信源とする「厨房」「香具師」といった言葉が使われるのを、繰り返し見ています。

 しかし、「厨房」「香具師」は意味を説明されなければ理解不可能であるのに対して、「ごきげんよう」は説明することなく一般的な日本人に通じるという意味で、同じようなコンテキスト上に無い流行語です。その点で、特殊な性質を持った流行語であると言えます。

 はたして、このような言葉はどこから来たのでしょうか。

「ごきげんよう」の由来は「マリみて」 §

 急に「ごきげんよう」を見るようになった時期は、「マリア様がみてる」(公式サイト, テレビ東京のサイト)というアニメの放送開始と一致します。「マリア様がみてる」は「マリみて」と略することが多いようです。

 私自身は、このアニメをちらっと見ているだけに過ぎないので、深い的確な紹介はできませんが。

 安易に女子高の女の子達が愛し合う話、と書いてしまうと正しい印象が全く伝わらないでしょう。

 公式サイトから、この作品の舞台となる学校の説明を引用します。

この女学園高等部では同級生同士は名前に「さん」をつけて呼び、上級生を呼ぶ時は「さま」をつける。挨拶の言葉は「ごきげんよう」。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在しない。

 つまり、浮世離れしたお嬢様学校ということになります。

 ここに述べられているように、「ごきげんよう」の語源は、この学校の挨拶の言葉となります。しかし、お嬢様学校でいくらこの挨拶が使われていようと、それが流行語になるとは考えられません。

 これが流行語になるためには、もう1つの特徴について説明しなければなりません。この学校には、女子生徒が特別の関係になるスールという独特のシステムがあります。以下に公式サイトからその説明を引用します。

この学園の高等部には「姉妹(ス―ル)」という学生の自主運営のシステムがある。これは、清く正しい学園生活を受け継いでいくために、姉である先輩が妹である後輩を指導する(淑女としての「躾」をつける)もので、この「姉妹の契り」はロザリオの授受によって成立。1人のお姉さまに対して、妹になれるのは1人きりなので、契りを交わしたことで、2人は1番親しい間柄だと周囲から認めてもらえる。このシステムは創立当時より存在し、連綿と受け継がれてきた。

 つまり、上級生と下級生の女子生徒が、1対1で、他人の入り込めない深い関係になるというわけです。これは、限りなく女子学生の同性愛を意識させる危険な香りが漂います。女子高における女子学生の同性愛は良くあることらしいので、けして突飛ではありません。しかし、それをシステム化して、公然と上品に運用されているというのは、非常に強い印象を与えます。

 また、話の内容も、お嬢様学校らしくお上品に取り澄ましている感じではなく、熱い感情がぶつかり合うような激しいものです。

 つまり、単なる綺麗な話ではありません。

 しかし、ここまでやっておきながら、このアニメは同性愛の世界に明確に足を踏み入れるぎりぎりの境界を越えません。実は、超えないからこそ、この作品はとても印象深く、激しいものになっているとも言えます。もし、同性愛の話になれば、それは非常識の話として安定してしまいます。常識と非常識の間を漂っているからこそ、常に不安定であり、新しい突拍子もない何かが飛び出してくる可能性を持ち続けます。これが、このアニメに対する強い印象を強化し続けているのかもしれません。

原作は男性向け美少女ジャンルではない? §

 更に重要なポイントは原作にあります。

 美少女が多数出てくる女学園という設定から素直に考えれば、原作は男性向けの美少女コミックやゲームにあると推定するのが普通でしょう。

 しかし、そうではないのです。

 原作は、コバルト文庫、主に少女が読む小説です。しかも、人気シリーズらしく、既に多数の既刊本が出ています。下に入れた書籍情報は、最初の1冊の分に過ぎません。

 このことから、「マリみて」の別の特異性が見えてきます。美少女ばかり多数出てくるような話は、従来であれば男性向け作品の定番であると考えるべきものでした。更に、理想化された美しい少女達が深い関係になっていくドラマといえば、やはり18禁ジャンルの更にマイナーな領域に限って見られるのが普通であり、一般向け作品では成立しにくい感がありました。

 しかし、おそらく前例がほとんど無いであろうスールというシステムが発明されたことにより、独特の新しい世界が開けました。スールは、肉親でも恋人達でもない中間領域の独特の世界です。擬似的な姉妹になぞらえている点で肉親的な雰囲気を漂わせつつ、必ず1対1で成立する関係であるという点で、恋人的な側面も持ちます。しかし、あくまで恋人ではなく、彼女たちは他に男性の好きな人を持つこともあり得ます。そのような曖昧領域に生きる彼女たちは、実は普通の意味でのノーマルな女性ではなく、レズビアンでもなく、何かつかまえ所のない第3の存在であると言えるかも知れません。

 既にこの文庫本を喜んで読んでいる人達が知り合いに何人かいます。私自身は読んでいませんが、30過ぎた大の男の大人に読ませてしまうだけの力があるようです。

 ということは、その曖昧な第3の領域は、若い女性の読者も、中年の男の読者も入って行くことができる世界なのかもしれません。既存の何者でもない曖昧な領域だからこそ、誰でも入って行くことができるのかもしれません。

 そこで問題は、その世界に入ったということをどうアピールするかです。

 普通の言葉では、うまく説明できません。

 どうすれば最も良くそれを表現するか。

 それに対する結論が、「ごきげんよう」という挨拶なのかもしれません。

余談・新しい風は吹くか? §

 性別・年齢を超えた間口の広さを持った作品というのは、現在では非常に特異的です。たとえば、宇宙戦艦ヤマトの時代、男性ファンと女性ファンは同じ宇宙戦艦ヤマトを見ていました。しかし、現在は顧客層ごとに作品の分化が激しく、たとえば男性向けアニメなら美少女を選べるほど多く出し、女性向けなら美少年を選べるほど揃えるような作品作りが行われてきました。

 それらは、性別、性の役割(ジェンダー)などを明確に固定化することで成立したものと言えます。しかし、「マリみて」は性別こそ女性で明確ですが、その役割という点では固定化されていません。その点で、これまでのマーケティング戦略を大きく逸脱する特異な存在と見ることができるかもしれません。

 もし、90年代のアニメ界のトレンドが特定ジェンダーに対するマーケティング戦略の特化であるとするなら、00年代は脱ジェンダー戦略によって新しい風が吹いてくる時代になるのかもしれません。